回復訳聖書へ戻る

マタイによる福音書 

主題:王国の福音――キリストが王‐救い主であることを証明する

 <<第一章>>

1:1 1イエス・2キリストの系図の書.彼は3ダビデの子であり、4アブラハムの子である.

1:2 アブラハムは1イサクを生み、イサクは2ヤコブを生み、ヤコブは3ユダと彼の4兄弟たちを生み、

1:3 ユダは2タマルから1パレスとザラを生み、パレスはエスロンを生み、エスロンはアラムを生み、

1:4 アラムはアミナダブを生み、アミナダブはナアソンを生み、ナアソンはサルモンを生み、

1:5 サルモンは1ラハブからボアズを生み、2ボアズは3ルツからオベデを生み、オベデは4エッサイを生み、

1:6 エッサイは1ダビデ2王を生んだ。ダビデは4ウリヤの妻であった者から3ソロモンを生み、


1:11 新約聖書で最初に述べられている名前も、最後に述べられている名前もイエスです(啓22:21)。これは、イエス・キリストが新約の主題であり、内容であることを証明します。

 聖書は命の書です。この命とは生けるパースンであり、すばらしいキリストであり、すべてを含むキリストです。旧約聖書は予表と預言を用いて、来たるべき方であるこのすばらしいパースンを、肖像画として描いています。新約で、このすばらしいパースンは来られました。新約聖書の第一ページは彼の系図をわたしたちに与えて、このすばらしいパースンを推薦しています。この系図は旧約聖書の要約と考えられます。なぜなら旧約聖書は、キリストの詳細の系図であるからです。マタイによる福音書の系図を理解するためには、あらゆる出来事の起源と歴史をたどる必要があります。

 全聖書のすばらしい中心であるキリストは、すべてを含み、多くの面を持っておられます。新約聖書の最初の部分は、このすべてを含むキリストの四つの主要な面を描く四つの伝記を提示します。マタイによる福音書は、キリストが王であることを証しします。王としてのキリストは、旧約で預言されている神のキリストであり、天の王国を地にもたらす方です。マルコによる福音書は、キリストが神のために忠実に働く神のしもべであることを告げています。彼の記事は最も単純です。しもべには、特に詳細な記録の必要はないからです。ルカによる福音書は、かつてこの地上に生活した人の中で、ただ一人の正当で正常な人であった彼の完全な絵を提示しています。このような人として、彼は人類の救い主です。ヨハネによる福音書は、キリストを神の御子、まさしく神ご自身、神の民の命である方として啓示しています。これら四つの福音書の中で、マタイによる福音書とルカによる福音書には系図が記録されていますが、マルコによる福音書とヨハネによる福音書には系図がありません。マタイは、イエスが王であり、彼が旧約で預言された神のキリストであることを証ししているので、この王の先祖と身分をわたしたちに示し、彼がダビデの王位の正当な継承者であることを証明する必要があるのです。ルカは、イエスが正当で正常な人であることを証明するために、この人の系図を見せ、彼が人類の救い主となる資格があることを立証する必要がありました。マルコは、イエスがしもべであることを書いているので、彼の生まれについて告げる必要はありません。ヨハネは、イエスが神ご自身であることを啓示しているので、人の系図を与える必要はありません。むしろ、キリストが神の言であり、初めから存在した神ご自身であることを宣言しています。

 キリストを王とする王国は、アブラハムの子孫である彼の肉における子孫と、信仰における子孫の両方によって構成されています。ですから、マタイにおけるキリストの系図は、召しによる種族の父アブラハムで始まっているのであって、創造による種族の父アダムで始まっているのではありません。神の王国は、アダムの創造による種族で建造されるのではなく、真のイスラエル人(ローマ9:6-8)、そしてキリストにある信者たち(ガラテヤ3:7、9、29)の両方を含むアブラハムの召しによる種族で建造されるのです。ルカによる福音書が、人類の第一世代のアダムにまでさかのぼるのは、イエスが正当な人であって、人類の救い主となる資格のあることを、その系図によって証明するためです。

1:12ルカが与えているイエスの系図は、彼が正当な人であることを証明しているのですが、その中に「キリスト」という称号は述べられていません(ルカ3:23-38)。しかし、マタイが与えているキリストの系図は、彼が王であり、神のキリストであることを証明しているので、「キリスト」という称号が繰り返し強調されています(1、17節)。

1:13ソロモンは、ダビデの王座と王国を受け継ぐダビデの子としての、キリストの予表です(サムエル下7:12-13.ルカ1:32-33)。ソロモンはキリストの予表として、おもに二つの事を行ないました。すなわち、彼が王国の中で神の宮を建てたことと(列王上6:2)、知恵の言葉を語ったことです(列王上10:23-24.マタイ12:42)。キリストはこの予表の成就において、今や神の王国の中で神の実際の宮、召会を建造しており、知恵の言葉を語られました。

1:14イサクは、神がアブラハムに与えられた約束と祝福を受け継ぐアブラハムの子としての、キリストの予表です(創22:17-18.ガラテヤ3:16、14)。イサクもキリストの予表として、おもに二つの事を行ないました。すなわち、彼は死に至るまで父に従順で、死から復活させられたことと(創22:9-10.ヘブル11:19)、異邦人の妻リベカをめとったことです(創24:61-67)。キリストはこの予表の成就において、死に渡されて神にささげられ、死から復活させられました。また異邦人の間から召された召会を、彼の花嫁にめとろうとしておられます。

1:21アブラハムは八人の息子を生みました(創16:15.21:2-3.25:2). この八人のうち、イサクだけが約束された子孫として勘定されました(ローマ9:7-8)。ですからキリストは、イサクの子孫であり、神がアブラハムとイサクに与えられた約束を成就します(創22:18.26:4)。

1:22イサクは双子の息子、エサウとヤコブを生みました(創25:21-26)。しかしヤコブだけが神によって選ばれました(ローマ9:10-13)。ですからキ リストは、ヤコブの子孫であり、アブラハム、イサク、ヤコブに与えられた神の約束を成就します(創22:18.26:4.28:14)。

1:23約束された子孫の長子の権は、地の二倍の分け前と祭司職と王職から成ります。ルベンはヤコブの長子として、長子の権を受け継ぐはずでした。しかし彼は汚れた行為のゆえに、長子の権を失いました(創49:3-4.歴代上5:1-2)。地の二倍の分け前は、ヨセフの二人の息子であるマナセとエフライムを通して、ヨセフに与えられました(ヨシュア第16章−第17章)。祭司職はレビに与えられました(申33:8-10)。王職はユダに与えられました(創49:10.歴代上5:2)。ですから神の王国の王キリストは、ユダの子孫であり(ヘブル7:14)、王国を受け継がれます。

1:24イサクの兄弟でもヤコブの兄弟でもなく、ユダの兄弟だけが、この系図の中に挙げられています。なぜなら、ユダの兄弟たちだけが、神に選ばれていたからです。

1:31パレスとザラは双子でした。出産の時に、ザラが手を出しました。それで産婆は緋の糸をその手に結び、彼が長子になることの印にしました。しかし、パレスは彼より先に出て長子になりました(創38:27-30)。パレスは人によって選ばれたのではなく、神によって遣わされたのです。これは、長子が人の選びによるのではなく、神の選びによることを証明しています。

1:32アダムの系図の中に、女性は記録されていません(創5:1-32)。しかしキリストのこの系図の中には、五人の女性が挙げられています。この五人のうち一人だけ、清純な処女がいます。これは選ばれた種族の子孫マリヤで、キリストは彼女から直接生まれました(16節)。残りのすべて、タマル、ラハブ、ルツ(5節)と、ウリヤの妻であったバテシバ(6節)のうち、何人かは異邦人で、何人かは再婚した者でした。それだけではなく、四人のうち三人は罪深い者でした。タマルは近親相姦の罪を犯し、ラハブは遊女であり、バテシバは姦淫を犯しました。これは、キリストがユダヤ人にだけでなく、異邦人にも関係していること、罪深い人々にさえ関係していることを示します。これは、彼が王として典型的な罪人の救い主であることを示しています。タマルはユダの息子の妻でした。ユダは近親相姦によって、彼女からパレスとザラを生みました(創38:6-30)。何と邪悪なことでしょう!

1:51ラハブはエリコの遊女であり(ヨシュア2:1)、エリコは神によって永遠にのろわれた場所でした(ヨシュア6:26)。彼女が神と神の民に転向し(ヨシュア6:22-23、25.ヘブル11:31)、主要な部族であるユダ部族の指導者サルモンと結婚した後(歴代上2:10-11)、敬虔な人ボアズを生みました。そのボアズからキリストが来られました。わたしたちにどのような背景があっても、わたしたちが神とその民に転向し、神の民の正当な人に結合されるなら、正当な実を結び、キリストの長子の権の享受にあずかるでしょう。

1:52ボアズは彼の血縁者の嗣業を贖い、その人のやもめと結婚しました(ルツ4:1-17)。そうすることによって、彼はキリストの重要な先祖、キリストの偉大な仲間となりました。

1:53ルツの起源は近親相姦でした。なぜなら彼女は、ロトとその娘との間の近親相姦の実であるモアブの部族(創19:30-38)に属していたからです(ルツ1:4)。申命記第23章3節は、モアブ人が十世代までも主の会衆に加わることを禁じています。しかし、ルツは主によって受け入れられただけでなく、キリストの最も重要な先祖の一人ともなりました。なぜなら、彼女は神と神の民を慕い求めたからです(ルツ1:15-17.2:11-12)。わたしたちがだれであっても、わたしたちの背景がどうであっても、神と神の民を慕い求める心を持っているなら、わたしたちは、受け入れられてキリストの長子の権を得ることのできる立場にあります。

 ボアズの母ラハブはカナン人であり、遊女でした。そして、その妻ルツは近親相姦によるモアブ人であり、やもめでした。二人とも異邦人で、低い階級の者でした。しかし、彼女たちはキリストにつながる者とされました。なぜなら、キリストは、ユダヤ人に結合されているだけでなく、異邦人にも、また低い身分の者にさえも結合されているからです。

1:54イザヤ書第11章1節は、キリストが「エッサイの切り株から小枝が生え、その根から出た枝」であると預言しています。キリストはエッサイから出ました。ところが、イザヤ書第11章10節は、キリストがエッサイの根であると言っています。それは、エッサイがキリストから出たことを示しています。エッサイはキリストを生み出した者でした。彼はキリストの中に根ざすことによって、キリストを枝として出しました。

1:61ダビデは八番目の息子で、神によって選ばれ、油塗られました(サムエル上16:10-13)。八という数は復活を象徴します。ダビデが八番目の息子として神によって選ばれたことは、彼とキリストとのつながりが復活においてであったことを示します。さらに、彼は神の心にかなった人でもあり(サムエル上13:14)、キリストのために神の王国をもたらしました。

 ダビデは父祖たちの時代の最後の者です。彼はまた王の時代の最初の人でもあります。彼は一つの時代の終わりであり、次の時代の開始です。彼は二つの時代の変わり目の目じるしとなりました。なぜなら彼は神の王国をもたらし、キリストと密接なつながりがあったからです。

1:62この系図では、ダビデだけが「王」と呼ばれています。なぜなら彼を通して、王国と王職がもたらされたからです。

1:63ダビデは殺人と姦淫を犯した時、預言者ナタンによって激しく叱責されました。神はことさら彼を遣わして、ダビデを罪定めされたのです(サムエル下12:1-12)。ダビデは罪定めされた時、悔い改めました。詩篇第51篇は、彼の悔い改めの記録です。彼は悔い改め、神は彼を赦されました(サムエル下12:13)。それから彼はソロモンを生みました(サムエル下12:24)。ですからソロモンは、人が違犯を犯し、悔い改め、そして神が赦した結果です。

 マタイにある系図によれば、ダビデがソロモンを生んだと言っています。しかし、ルカによる系図によれば、ナタンがダビデの子であったと言っています(ルカ3:31)。歴代志上第3章5節は、ナタンとソロモンが異なる二人の人物であることを告げています。ルカの記録はダビデの子ナタンの系図であり、ナタンはマリヤの先祖でした。マタイの記録はダビデの子ソロモンの系図であり、ソロモンはヨセフの先祖でした。一つの系図はマリヤの系統、妻の系統です。もう一つはヨセフの系統、夫の系統です。マリヤとヨセフは両方ともダビデの子孫でした。神の主権の下で、彼らは結婚によって結ばれました。ヨセフはマリヤを通して、キリストと間接的につながりを持ちました。キリストはソロモンとナタンのどちらを通しても、ダビデの子孫と見ることができます。ですから、彼には二つの系図があるのです。

 厳密に言って、ソロモンはキリストの直系の先祖ではありません。ソロモンとキリストとの関係は、ソロモンの子孫ヨセフが、キリストを生んだマリヤと結婚す}; マタイにある系図によれば、ダビデがソロモンを生んだと言っています。しかし、ルカによる系図によれば、ナタンがダビデの子であったと言っています(ルカ3:31)。歴代志上第3章5節は、ナタンとソロモンが異なる二人の人物であることを告げています。ルカの記録はダビデの子ナタンの系図であり、ナタンはマリヤの先祖でした。マタイの記録はダビデの子ソロモンの系図であり、ソロモンはヨセフの先祖でした。一つの系図はマリヤの系統、妻の系統です。もう一つはヨセフの系統、夫の系統です。マリヤとヨセフは両方ともダビデの子孫でした。神の主権の下で、彼らは結婚によって結ばれました。ヨセフはマリヤを通して、キリストと間接的につながりを持ちました。キリストはソロモンとナタンのどちらを通しても、ダビデの子孫と見ることができます。ですから、彼には二つの系図があるのです。

1:64ヘテ人ウリヤは異教徒で、彼の妻はバテシバでした(サムエル下11:3)。ダビデは彼を殺し、彼の妻バテシバを奪いました。ですから彼女との再婚は、殺人と姦淫の結果でした(サムエル下11:26-27)。ダビデは神の心にかなう人として、この一つの邪悪を除けば、全生涯を通じて主の目に正しいことを行ないました(列王上15:5)。この系図が、「バテシバから」と言わず、「ウリヤの妻であった者から」と言っているのは、ダビデのこの大罪を強調するためであり、王なる救い主としてのキリストは、異教徒とだけでなく、罪人とも関係があることを見せています。


以上、テキストのみ掲載しています。実際の体裁はこのようではありません。色はついていません。またフットノートは小さい文字になっています。また、実際の本は多くの参照個所が載っています。

もどる

powered by Quick Homepage Maker 4.78
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM