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どのようにして神を享受するか

どのようにして神を享受するか、またどのようにして神を享受することを訓練するか(上)」より


祈りはおもに、神に来て何かを求めるための事柄ではありません。祈りの意義は、わたしたちのために何かを神に求めることではありません。祈りの第一の意義は、神を吸い込み、吸収することです。


わたしたちが祈るとき、自分のために何かを神に求める動機、あるいは意図を持つべきではありません。むしろ、わたしたちの意図は神を吸い込み、彼を吸収することであるべきです。


わたしたちは口を開くとき、求めたり懇願したりする必要はありませんが、尋ねることができます。多くの兄弟姉妹は、主に尋ねたことがありません。最高の祈りは尋ねる祈りです。


神に触れ、静かに待ち、主が愛すべき方であることを見て、彼と会話するとき、わたしたちは彼に聞くことができます、「わたしは今、特定の事柄を述べてもよいでしょうか?」。これは最も甘い祈りです。


アブラハムはエホバの御前に立ったとき(創第18章)、すぐに口を開きませんでした。彼は神の御前で待ち、彼に尋ね、彼を見ました。しばしばわたしたちは人の目の表示にしたがって物事を行ないます。わたしたちは彼らの顔の表情にしたがって語ります。わたしたちはこのようにして祈るべきです。


詩篇の作者は彼の願いを表現しました、「わたしの命の日の限り、エホバの家に住んで、エホバの麗しさを見つめ、彼の宮で尋ね求めることを」(詩27:4)。わたしたちは霊に戻り、彼を見て、それから彼に尋ねます。


わたしたちは、祈りの中で尋ねる人になることを学ばなければなりません。わたしたちは主に尋ねるべきです、「わたしは、この時にこの主題を持ち出してもよいでしょうか?」。わたしたちは主の目を見つめるべきです。彼が幸いでないなら、わたしたちは続けるべきではありません。彼に承認の表現があるなら、どのように祈るべきかを尋ねることによって続けることができます。これは、尋ねることは何であるかを意味するものです。


ある人は言うかもしれません、「これはあまりに遅過ぎます。事が遅れて人々は死ぬでしょう」。時間は神の御手の中にあることを、わたしたちは覚えておく必要があります。彼は時間を超越しています。ある兄弟が病気であるなら、主は彼を助けることができ、たとえ死んだとしても、彼を復活させることができ、たとえ彼が悪臭を放っているとしても、彼を新鮮にすることができます。


わたしたちは主が決して少しの働きも遅らせることはないと信じなければなりません。最高の祈りは尋ねる祈りですが、人は静まっているときにだけ尋ねることができます。


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