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「新約ライフスタディ コリント人への第二の手紙(1)」より

ウイットネス・リー「新約ライフスタディ コリント人への第二の手紙(1)」より


第3章18節でパウロは言います、「しかし、わたしたちはみな、おおいのない顔をもって、鏡のように主の栄光を見つめつつ映しつつ、栄光から栄光へ、主と同じかたちへと造り変えられていきますが、それはまさに霊なる主からです」。


わたしたちはみな経験において、主を見つめ、映す鏡であるべきです。しかしながら、主の栄光を見つめ映す鏡であろうとするなら、わたしたちを覆う何のおおいもあってはなりません。


主のあわれみと恵みによって、すべてのおおいが取り除かれるなら、わたしたちは、おおいのない顔で彼を見つめ映す鏡であるでしょう。鏡として、あなたは覆われているでしょうか、それともおおいが取り除かれているでしょうか?


もし覆われているなら、あなたは主の御名を呼び求めても、依然として彼を見つめないかもしれません。主を見つめ映そうとするなら、すべてのおおいは取り除かれなければなりません。


おおいが取り除かれることを願うなら、わたしたちは主に対して言う必要があります、「主よ、わたしを覆っているものを取り去ってください。わたしは完全に開かれ、絶対的におおいのない状態でありたいのです」。その時、わたしたちはおおいのない顔をもって、主の栄光を見つめ映し、栄光から栄光へ、彼のかたちへと造り変え
られるでしょう。


今日、栄光は復活したキリストであり、このキリストはその霊です。栄光としての主は、わたしたちの中に生き、わたしたちの霊に内住しておられるその霊です。今やわたしたちは、霊に内住しておられるその霊を持っているので、祈り、御言を読み、主の御名を呼び求めることによって、ますますわたしたちの霊を活用する必要があります。


おおいのない顔でわたしたちの霊を活用すればするほど、わたしたちはますます主を見つめるでしょう。わたしたちは彼を見つめている時、また彼を映すでしょう。


わたしたちがこのように彼を見つめ映している間に、彼の要素、彼の本質は、わたしたちの中へと加えられるでしょう。この新しい要素はわたしたちの古い、天然の命の要素に置き換わり、それを除き去るでしょう。こうして、わたしたちは造り変え、新陳代謝的な変化を経験するでしょう。わたしたちは主のかたちへと造り変えられるでしょう。


おお主イエスよ、あなたを愛します。心をあなたに新鮮に向けます。おおいが取り除かれて、おおいのない顔でわたしたちの霊を活用し、主を見つめ、映すことができますように!主のかたちへと造り変えてください。

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